レディー・ガガのチケットと病院の予約券、許せるダフ屋は?――マイケル・サンデル教授の「民主主義の逆襲」
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1206/05/news080.html
2012年06月05日 18時05分 UPDATE
5000人が白熱した特別講義
米ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が、東京国際フォーラムで5000人を前に特別講義を行った。テーマは「ここから、はじまる。民主主義の逆襲」。受講者に語りかけながら議論を促すおなじみのスタイルを取ったサンデル氏。これから数回にわたってその模様をお伝えする。
[上口翔子,Business Media 誠]
マイケル・サンデル教授
「もしあなたが大学生で、『あなた自身の命名権をくれるのなら授業料を出す』と企業に言われたらあなたはどうしますか?」「3.11のような震災がまた起こった場合、政府が発信する情報とTwitterや個人ブログの情報、どちらを信頼しますか?」――ベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』筆者で米ハーバード大学教授のマイケル・サンデル氏が来日し、5月28日に東京国際フォーラムで約5000人を前に「ここから、はじまる。民主主義の逆襲」と題した特別講義を行った。
サンデル氏の講義はこのように、YES/NOをハッキリと示しにくい議題を受講者に投げかけ、自分の頭で考えさせるのが特徴だ。ハーバード大学でのサンデル氏の講義「Justice(正義)」は、延べ1万4000人超が履修し、テレビ放映で一般公開されたほど。今回の特別講義も5000席の枠に倍の応募があったという。2年前の出張講義(参照記事)では500人だったから、今回は約10倍の受講者を集めた。
サンデル氏は今回の特別講義の中でもいくつかの難題を提示。受講者はサンデル氏の問いかけに対し賛成であれば白、反対であれば赤、というように手持ちのパンフレットを掲げて自分の意思を示した
当日の内容は大きく前編、後編の2部構成。前編は5月16日に発売した近著『それをお金で買いますか――市場主義の限界』でも触れているダフ屋のチケット問題や命名権、インセンティブについて。後編は東日本大震災を受けて日本の原発問題などを題材としたものだ。いずれもボードやスライドは一切使用せず、受講者に語りかける対話形式のスタイル。議論を促す“サンデル流”講義の全ぼうをお伝えする。
今回の特別講義は、東京国際フォーラム開館15周年記念事業という位置付け。「皆さん、準備はできていますか?」――。盛大な拍手で迎えられたサンデル氏の問いかけで講義は始まった(写真右は早川書房の早川浩社長)
社会でお金が果たす役割とは
サンデル 今晩のテーマは『ここから、はじまる。民主主義の逆襲』です。今、民主主義が直面している課題が「お金と市場の役割は何なのか」「社会でお金が果たす役割は何なのか」ということです。今日の世界では、お金で買えないものはどんどん少なくなってきていますよね。
例えば皆さんが罪を犯し、刑務所に行かなければならないとします。ところが普通の独房は狭くて嫌だ、お金を払って快適な独房に行きたい。こうした要望が米カリフォルニア州のある町ではできるんです。お金があれば快適な独房が買えるんですよ?
少し昔話をしますが、子供のころ、私は野球のファンでした。お気に入りのスター選手のサインを集めていたんです。当時は少し早めに野球場に行けば、選手たちはファンにサインをしてくれたんです。私はボールや紙にサインをしてもらいました。
一度ラッキーだったのが、あるゴルフトーナメントに行ったときのこと。チャリティートーナメントだったので、いろいろなスター選手が来ていて、私にもサインをしてくれました。元メジャーリーガーのミッキー・マントル、ジャッキー・ロビンソン、ジョー・ディマジオ。今でも実家の屋根裏部屋のどこかに彼らのサインがあるはずです。
こうしたサインは、一瞬の思い出ではありますが、記念ですよね。偉大な私のヒーローであった選手との思い出です。しかし現代では、こうしたスポーツ選手のサインの集め方がずいぶんと変わっています。それはもう数十億ドルもの一大産業に育っているんです。そしてブローカーやディーラーなどの仲介業者、さまざまなお店がサインを扱っています。これは時代の象徴といえるでしょうかね。時代はここまで変わってきているんです。
自分の街の命名権は誰のもの?
サンデル 最近スポーツスタジアムに行くと、企業の名前が付いている場合がありますよね。命名権というものです。今ではおなじみとなっていますが、実は30年前はほとんど知られていないことでした。
あるニュースで見たのですが、日本でも大阪府の泉佐野市が命名権を売却する話題がありましたよね。そのように今ではスポーツスタジアムなどの域を超えて命名権が広がっています。さて、ここで皆さんに意見を聞きたいと思います。
あなたの住んでいる町の財政が厳しく、今にも破たんしそうです。そんなとき、ある企業が何百万円かを寄付してくれることになりました。ただし、条件があります。町の名前を企業の名前と関連したものしてほしいというものです。あなたなら賛成ですか? 反対ですか?
サンデル (会場では白[賛成]と赤[反対]が半々)なかなか面白い結果ですね。半々に分かれるとは、私はこういう結果になるとは思っていませんでした。興味深いです。
命名権の売買を多数決で決めた場合
サンデル では、あなたが住んでいる町や市の名前を企業に売ることについて、まずは賛成の人の意見から聞いてみましょう。白を挙げた人、賛成する理由は何ですか?
ケイタ(賛成) 賛成です。命名権を売ることに反対する理由はないし、賛成をすればお金が入ってくるので。
サンデル 分かりました。では反対意見も聞いてみましょう。どういう理由で反対したのか、そしてその反対意見を聞いて賛成の人を納得させられるかもしれませんし、できないかもしれません。
アオイ(反対) 市というのは、企業の財産ではありません、市民の財産です。ですから一企業が市の名前を買うのは正しくないと思います。
サンデル あなたの名前は?
アオイ(反対) アオイです。
サンデル では先ほどの人は? ケイタですね。ではケイタ、アオイに話してください。そしてアオイの理由に納得したかどうか答えてください。
ケイタ(賛成) 当然、市というのは企業のものではないと思います。でも、市が市民のものである以上、市民にとって利益になる命名権が与えられる場合は、承認されてもいいんじゃないかと思います。
サンデル アオイはケイタのこの意見にどう反論しますか?
アオイ(反対) そうですね。命名権の売買を決める人は責任者ですよね? 市で言えば市長など。うーん……ソーリー(困った様子)。
サンデル いいですよ、ではちょっとアオイに質問をしましょう。例えば市の名前を変えることで、市民はお金を受け取れるとします。それに対して市民投票をしたら過半数がよい(お金をもらえるのなら命名権を売ってもいい)と答えたとします。アオイはどう答えますか?
アオイ(反対) もしも市民の過半数が良いと言ったとしても、100%ではないですよね? 100%が良いとしたのなら、変えてもいいと思いますが。
サンデル 全市民が賛成しないとダメですか? それは厳しい条件ですね(笑)。では99%なら?
アオイ(反対) 99%ということは、反対の人が1%いるということですよね。市の名前は重要で、大事だと考える人が1%でもいるのなら変えない方がいいんじゃないでしょうか。
サンデル アオイがその市民なら、きっとその1%ということですね。(会場笑)
自分自身のアイデンティティーを売ることはできる?
サンデル 過半数の意見が必ずしも正しいとはいえませんので、アオイは正しいかもしれませんね。では市の名前、町の名前、なぜこれが大事なのでしょうか?
アオイ(反対) 一部の人にとっては、自分のアイデンティティーを表すからだと思います。そういう人にとって、市の名前を変えることはたやすいことじゃないと思うんです。お金のために市の名前を変えるのはよくありません」
サンデル では市の名前が市民としてのアイデンティティーを表すものならば、お金のために名前を変えるのは、いわば市民としての価値の中心のあるものを変えてしまうと、だから反対だということですね。これは非常に強力な議論だと思うのですが、ケイタはいかがでしょう?
ケイタ(賛成) そう思います。ただ、もしアイデンティティーよりもお金の方がいいと市民が判断すれば、市の名前を変えてもいいんじゃないでしょうか。アイデンティティーとお金のどちらが重要かは、市民によると思います。
サンデル それでは、ケイタに質問です。市民としてのアイデンティティーがいま問題となっていますが、もしそれが個人としてのアイデンティティーだとしたらどうでしょう? あなたがお金を必要としている場合、そしてある企業が申し出をしたとします。『あなたが必要としているお金をあげましょう』と。例えば大学の授業料です。あなたは大学生で、ワシントンD.C.の学校に通っているとします。そして授業料が必要だった。するとある企業が「あなた自身の命名権をくれるのなら授業料を出します」と申し出をしてきました。例えばあなたの名前がマスターカードとか、マクドナルドとかになるんです。ケイタ・マクドナルドとかね。あなたは授業料と引き換えに名前を変えられますか?
ケイタ(賛成) はい、やると思います。
会場 (笑)
サンデル (拍手をしながら)いくらくらいですか?
ケイタ(賛成) 10億円です。
サンデル 随分と多額のお金ですね。それ以下では応じないということですか?
ケイタ(賛成) たぶん。
サンデル もしかしたら応じるかもしれない、企業は交渉の余地があるということですね。つまりあなたは自分自身の名前、自分自身のアイデンティティーも価格が付けられるということです。アオイは今のケイタの意見についてどう思いますか?
アオイ(反対) もしかしたら、ケイタにとってはそうなのかもしれません。自分のアイデンティティーにも価格を付けられる。でも、私の場合にはそうではありません。
サンデル あなたは名前を売らないということですね。
アオイ(反対) はい、売りません。
サンデル アオイ、ケイタ、ありがとう。
会場 拍手
続いての議題は「何ならばお金で買えるか」だ。サンデル氏は「友情」「結婚式の祝辞」「コンサートのチケット」「医師の診察券」などを例に挙げながら受講者に問いかけた。
お金で変えるもの、買えないもの
サンデル さて、何ならばお金で買っていいのかという議論をするに当たって、たとえ試みたとしてもお金で買えないものがあることを認める必要がありますね。例えば、友情。これはお金で変えないですよね? 今よりも友達の数を増やしたいと、でも普通では友達ができない人だとすると、お金で友達を買おうとしても、うまくいきませんよね。これは非常に興味深い哲学的な命題でもあります。
なぜお金で友情は買えないのか。恐らく皆さんはこう思っている思います。お金で友人を買ったとしても、実際に自分が求めている本質的なところは変わりません。お金で買った友人は本当の友人ではないということです。皆さんもそう思いますよね? ケイタも、さすがにお金で友人は買えないですよね
ところが多くのものが、友情と違ってお金で買えてしまうんです。ということで、さらに倫理的、あるいは市民という立場から『何ならばお金で買えるか』という疑問を考えてみましょう。
お金で買った祝辞で感動できる?
サンデル ちょっと友情に似た例を挙げましょう。皆さんの中には、友人の結婚式の祝辞を頼まれたことがある人はいますか? スピーチをして乾杯の音頭を取るんです。一度くらいはありますよね? それで経験した人は分かると思いますが、祝辞をしてくれと頼まれると、皆が皆、気安くOKとは言えませんよね。雄弁で感動的で、それでいてジョークも交えたユーモラスなスピーチをしなければとナーバスになります。もちろん、みんながそんなスピーチを書けるとは限りません。
実は、結婚式の祝辞を代筆してくれる『 The Perfect Toast.com 』という有名なWebサイトがあるんですよ。このサイトで新郎新婦の人柄や、自分との関係、そして祝辞の内容はユーモラスがいいか感動的がいいかという条件を書き込むと、3日で出来上がった祝辞が届きます。
皆さん、これはいくらくらいだと思いますか? ちょっと大声で言ってみてください。(会場からの声を拾って)50ドル? わざわざあなたのために作ったオリジナルなのに? たった50ドルですか?(笑)――答えは送料込みで149ドルです。
さて、皆さんに質問です。このようにお金で買った祝辞は、心を込めて書いた祝辞と一緒でしょうか? 例えばあなたの結婚式で、親友が本当に感動的な祝辞をしてくれたとします。あなたももう涙、涙で。ところが後からその祝辞がオンラインで149ドルで買ったものだと分かります。皆さんどう感じますか?
あの時の感動は何だったのかと、価値が下がったと思いますね、恐らく。結婚式の祝辞は友情とは違ってお金で買えるものかもしれませんが、ある意味では友情と一緒です。お金での取引によって、価値が失われてしまうんです。意味のないものになってしまうということですね。
これは多く物や財に言えることです。家族としての生活、市民としての生活、いろいろなことに当てはまります。お金で買おうとしても実はお金で買えないものなんです。
ダフ屋行為が許せるチケット、許せないチケット
サンデル 別の例を挙げたいと思います。自由市場を適応して販売しているチケットの話です。ロックコンサートや野球のワールドシリーズの試合、誰もが手に入れたいと思うチケットです。そうしたチケットの売買は時々ダフ屋が仲介してしまうよね。チケットを買い取って、別の人に高額で売り付ける人たちです。
ここで皆さんに質問です。
米人気歌手のレディー・ガガのコンサートがあり、チケットが販売されています。中にはダフ屋もいて、皆がほしいとい思うチケットを数倍の値段で売っています。あなたはこうした自由市場の在り方について、賛成ですか? 反対ですか?
サンデル 今回の質問でも意見が半々に分かれていますね、ただ、どちらかと言うと賛成、つまりレディー・ガガのコンサートチケットでダフ屋が出るのは構わないといった人の方が若干多いようです。
では違った例を上げてみましょう。やはりチケットのダフ屋の例です。同じような意見か、皆さんにもう一度聞いてみたいと思います。
私が中国に行ったときのことですが、北京の病院の外で長い行列ができていました。田舎から出てきた患者が、医師の診察を受けようとして行列を作っていたんです。その人たちは夜通しまたは数日間待たなければ、医師の診察を受けられないそうです。朝9時になると受付が始まり、医師の予約券が配られます。予約券自体はそれほど高価なものではありません。ただ、限られた数の予約券しかないんです。
そしてダフ屋が気が付きました。これがビジネスになると。ホームレスなどを雇い、行列で待ってもらって、予約券を手に入れるんです。そしてその予約券を、レディー・ガガのコンサートチケットと同じように売りつける。例えば「リュウマチ専門医の予約券ですが、いくら払いますか?」という形で売りつけているんです。これも自由市場ですね。では皆さんに意見を聞きたいと思います。
病院の予約券を競りにかけて売るダフ屋行為は、自由市場の在り方として構わないですか? 間違っていると思いますか?
サンデル 今回はかなり違った結果になりましたね。大多数が「間違っている」で、「構わない」という答えは少数という結果になりました。では皆さんの意見を聞いていきましょう。まずは予約券のダフ屋行為は何かおかしいと思う人、理由を教えてください。どういう理由で間違っていると思いますか?
レディー・ガガのチケットは良くて、医師の診察券のダフ屋行為はダメ?
男性(反対) 私はレディー・ガガのチケットの場合も医師の診察券の場合も両方とも反対しました。ただ問題は、レディー・ガガがチケットのダフ屋行為についてどう思うのか、そして病院や医者がどう思うのかにかかっていると思うんですね。レディー・ガガが自分のチケットがダフ屋で売られていると知ったらどう思うでしょうか? そして医者も自分の診察の予約がお金で売り買いされていると知ったらどう思うでしょうか?
非常に残念でがっかりすると思います。ですからこの問題は、供給サイドと需要サイドの気持ちが重要ということです。資本主義というのは、需要サイドにばかり目が向いて、供給サイドを忘れていると思います。
サンデル でもそんなこと構わないんじゃないですか? あなたがレディー・ガガだったらどうしますか? 気にしますか?
男性(反対) いや、レディー・ガガの気持ちは分かりません。ただ、恐らく彼女のこれまでの行動などを見るならば、いろいろな非営利団体での慈善活動をしているので競り行為でチケットが売られるのは嫌がると思うんですよ。皆が平等に見られるように願うと思うんです。
サンデル では逆に、ダフ屋行為に反対はしない、レディー・ガガのチケットも医師の診察券もどちらの場合も構わないんじゃないかという人に聞いてきたいと思います。どうぞ立ちあがって意見をお願いします。
女性(賛成) 私は医師の診察を受けるのも、レディー・ガガのコンサートに行くにも、それが本当に必要だとするならばお金はいくらでも後から貯めることができると思うんです。特に病院の場合は、私はお金で片が付くのならば、お金を貯める方を考えます。
サンデル では医者の予約は、最も高いお金を払った人が行くべきだと思うのですか? それで構わないんですか?
女性(賛成) いえ、それが本当に必要であるならば、そのお金を貯めるために何でも努力をすると思います。
サンデル では構わないということですね。では次にレディー・ガガのチケットの場合は構わないけども、医師の診察券の場合には反対という人の意見も聞いてみましょう。
男性(医師の予約券は反対) 人は皆、貧しい家庭の出身かお金持ちの家庭の出身なのかにかかわらず、誰もが同じ権利を持つべきだと思います」
サンデル 「それは医師の予約についてということですね。ではレディー・ガガのコンサートについてはどうですか?
男性(医師の予約券は反対) 私はレディー・ガガのチケットが手に入らないからといって、そんなに苦しむことはないと思います。
サンデル でもつらい人がいるかもしれませんよ?
男性(医師の予約券は反対) それほどひどく辛いとは思わないのではないでしょうか。医療行為を受けることができない人の方が辛いはずです。
サンデル では医療行為については誰でも受ける権利があるけれども、コンサートには行く権利はないということですか?
男性(医師の予約券は反対) そうです。
サンデル 分かりました。では他に、やはりダフ屋行為について、医師の予約券には反対だけどコンサートのチケットは問題ないと考える人、どうぞ。
レイカ レディー・ガガのコンサートはエンターテイメントで、なくても生きていけるものだと思います。行けなくても次のチャンスがあります。でも医師の予約券は人間にとっては健康が必要ですから、もしお金がなくて医師の予約が取れなかったら死んでしまうかもしれません。ですから、お金を貯めて医者にかかる、そうでなければいけないというのは、正しくないと思います。
サンデル あなたの名前は? レイカですね。ではレイカ、別のケースについて聞きましょう。哲学の授業のダフ屋行為はどう思いますか?
レイカ この講義であれば私は払います。(会場笑)
会場 拍手
サンデル でも、出なくても生きていくことはできますよ。
レイカ 私の知識や勉強のためです。
サンデル では教育というのは医師の予約に似ていますか? それともエンターテイメントに似ていますか?
レイカ 医師の診察券に似ています。
サンデル 医師の予約に似ているということですね。それは気に入りました。(会場拍手)
サンデル この議論で面白かったことは、ダフ屋行為、これはもちろん自由市場の活動と捉えることができるのですが、どういう場合ならば良くて、どういう場合は良くないのか。今の議論を聞いていると、状況によって変わるようですね。
すなわち、どういう対象物に関してのダフ屋なのかで、許せるか許せないかが変わってくるということです。例えば自分のよい生活のために、あるいは人間の暮らしの中で娯楽といえるエンターテイメントならばダフ屋行為もよいのではないか、市場経済は構わないのではないかということだと思います。
ところが大多数の人は、医師の予約券に関しては市場主義は適切ではないという意見でした。これは絶対的に必要なもの、人間の尊厳にかかわるものは、売り買いしてはいけないのではないか、という気持ちが強くなっているからだと思うんです。つまりわれわれは、お金で買えるもの、買えないものをどこで線引きをするのか。どういうものならば許されるのか。そういう議論が必要だということではないでしょうか。
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